寄り道
 
  「どうも結果が..」
 
  雪は、除雪しても除雪しても溜まる。春になりや溶けるので、
 そのままにしておいても大丈夫と家内は言うが、そうはいかない。
 それと同じように、無駄なように思えるがやらなきゃならない仕事
 なり、奉仕があると思う。あんまり深く考えたことがなっかたし、そ
 の必要もなかった。それらを無駄とか思うのは、意識の始まりかね。
 そうだとすれば、目的なく惰性で動いている様なことを想像した。
 目的無ければ、結果が期待する事も出来ない。でもボランティアは
 結果を考えるようじゃ続かないと私は思うが、その様な変な小理屈
 をつけるものだから良い結論にたどり着けない。そうなると私の歩ん
 だ人生そのものだと思って、なんだがおかしいやら恥ずかしいやら。
 
 庭の所を片付けをしていた。昼を過ぎてヒヨドリが2回目に来る時
 間だ。ピーィと遠くから鳴き声が聞こえてきた。「来たぞー」と言
 うようのか「食事に来たからどけてよ」にも聞こえる。こちらの気
 分次第で、どうにでも変わることだが。そんなヒヨドリもエサを求
 めて本州に渡る者達は、いつも危険と隣り合わせの航海をしている
 ようだなんでも、ハヤブサから身を守るために海面すれすれに飛ん
 で津軽海峡を行く。ときには波が、3メートルの大波にのみ込まれ
 命を落とす鳥達。壮絶なヒヨドリ達の戦いの話を報道で見て、暖か
 く迎えてやろうと思ってしまった。リンゴ木にぶらさがって無かった
 ような気がしたので「リンゴどう、あるのか」って聞くと「ちゃんと、
 つけておいたよ。私だってね。ご飯支度する前に付け終わらしてい
 るんだから」と。家内も、その報道を見ていたのだろうか。
 ヒヨドリにリンゴを与えて報われる事と結果がなんだろうかと思う
 事ある、彼ら来てくれるだけで何か嬉しい気分に成る事。今では彼
 らの鳴く声が少々うるさいが癒しを与えてるれる。私共の報酬と結
 果か。なんかくだらない事を思ってしまったが。
 
 このように思っているといつまでも良い気分が充実しているだろう。
 常にその様に心がけ、仕事もそうだし運転もしていれば会話に余
 裕が出来たりするのではないかと考えてしまった。いつも、目先に
 捕らわれている悲しい私です。それで信念も持ち合わせていない
 現実。
 
 こうなると「瓢箪でナマズを捕らえる」たとえにあるナマズの私だ。
 
 
 
 
 
                       春風するめ