寄り道
 
 「どうも一言喋ると..」
 
  古今所、チョットしたことを説明すると。その対象物と対象物の
 若干の違いがあったとしても大概の人は、「うぅーんそうかい」と
 生返事でもしてくれるのだが。家内は「喋るだけしゃべって、詳しい
 説明ないもんね」と、気難しいおばさん顔で言ってくる。特別意識し
 てそのようにしているのではないけれど、その顔を見て「そうだな、
 いつからその様な説明を省略してしまう癖がついたのだろうか」と、
 反省をしたね。でも、長年のついた癖は、すぐ改善のは難しいと聞
 く。最近の私は、他の人から言われることばかりだ。話するのも気
 がひける。そんな中、マメコフ(ペットの亀)は、オシッコをするとこ
 ろを用意してあるのに、自分が寝るカゴの中で小便をするらしい。
 そのカゴにお寝小便パットを挽いているが、それを出してカゴの中
 で用を足すようだ。動物は、人間と違って言葉を持ち合わせていな
 いから、意思の疎通を図れる?とにかく苦労するよ。気を長く待っ
 て接しないと、こちらの思う通りにいかないものだ。だけど家内は、
 マメには愛情を発揮させるのだ。私に対して、そんな気配は感じら
 れないく、少しの我慢も持てないようだ。それは、はどうゆう事だと
 僻(ひが)まさる(大人げないけど)。
 この冬にリンゴの木にしても、何とかして倒したいと思い枝だを払
 って、幹の高さが3mまでした。幹の太さ25cmはあるだろう、後は
 どのようにして倒そうかと考えていた。数日後、家内は私に黙って
 少しずつノコギリで切っていた。太さ直径25cm以上もある幹は、
 そう簡単にはいかない、もし倒れたらかなりの重量だから怪我しか
 ねないので注意をすると「私が、何かをするとすぐ、文句をつけに
 来るもんね」と、お礼変わりの文句が帰って来た。私が、後の処理を
 他の人に頼むか又は、チェンソーを借りてきて切るかと言うと「なん
 でもあわくって、やらなきゃならないの」と反対された。チェンソー
 で切ってしまうかと言い切ると、家内は長女を呼んで来て止める。
 
 みすぼらしい幹の木は残った。
 我が家は、体裁との二文字が無いのだ。どうして、計画性の無い生
 活、一過性のない木の始末などが生じることになったのだろうか。多
 分、私も含めて家内もだが、計画を立てた行動よりも実利の生活を
 優先させる、つまり、その時よければ良いという思考行動だからだ。
 わかった。それで、うだつが上がらない生活が永遠と続くのだと。
 
 
                        春風するめ