寄り道
「俺だけ悪者..」
私は、独りでスーパーに買い物に出掛けることは、滅多に
無いのだが帰る途中で、中学生くらいの男の子が飲み物を飲
みながら歩いて来た。私と擦れちがうとした時に、その容器を
ポィッと捨てて、それを歩いている私の前に来てプラスチック
の容器を2度踏みつけて潰したのだ。それには私もビックリし
て「こらーッ、どこに捨ててるのよ。拾え」と怒鳴って言ってや
ったよ。その子誰からも怒鳴られたこと無いらしくビックリして
オドオドして拾わないから「何やってんだよ拾え、いーか、そこ
ら辺に捨ててみれよ、ずーッと歩くのを見てるからな」と、立ち
止まって彼らの行動を見ていた。彼らは、時々私のいる方に振
り返りながら、ゴミ箱か適当に捨てれる所を探しながら歩いてた
が、小路でポイ捨てをしそうな気配を感じたので、「どこに捨て
るのよ」と小走りして向かうと、すぐ拾って走っていた。
それ以上走るのを止めた。普段なら黙っているのだが目の前で、
あの行動をされ黙っている事は出来ない。昔、私が彼らの歳の
時は、近所にうるさいおじさんがいたなぁ。そんなことを思うと、
そのおじさんのお陰で曲がらずにすんだのかも、感謝の念を持
ってしまった。
仕事でも、仕事上で何回が注意しても改善されないんだがと、
責任者が私の所へ来て口を言いにきた。そして「なんか、私だけ
が悪者になっている気がする.....」と言った。ふと、マザーテレサ
の言葉で「愛の反対語は憎しみではなく無関心です」というのを
想い出した。今の若い人に、怒る、叱りつけるはリスクが伴う時代
だ。職場なら下手するとパワハラとか言われるかもしれない。
でも、「立場上、相手に耳障りの悪い言葉を伝えるとき、自分の
声を聴いてごらん。気を使って尚且つ、注意をはらっていることを
知るから、相手も人の子、始めはわからなくても、こちらの口調と
顔の変化や動作で、やがては信頼という形で帰ってくる。そのこ
とを信じていよう」と話た。大概は文句を言う相手が、価値ある奴
だからリスクを負っても、注意したり叱ったりするはずさ。その価
値のない奴には、無関心でいると思うと。その様に伝えたが、今
思うと正解だっただろうかと迷う。
これだけは言える、余所様(よそさま)から悪く思われたくないと
いう気持ちを優先させてしまうと、小さな事故でさえ防ぐ事でき
ないし、逆に招くかも知れない。あーぁ、桑原クワバラ。
春風するめ