寄り道
「歳を採って今憶う..」
毎朝ソバを暖め、刻んであるネギを入れて母に出す。箸で取る
事が出来ずホークで食べる。そのフォークで麺をすくうのに時間
が掛かる。あたりまの視力があれば問題も感じ無くてすむのだが。
本人より、見ているこちらがイライラしてしまう。少し食べたころ
「もうちょっとショッパイと、美味しいのにねぇ」と話しかけてきた。
尤もな話である。人が歳をとるに随(したが)い身体の故障(病気
を指して)が出て、甘い辛い、ショッパイなどの味わいが、ご法度
となる食事制限の病気になると大変だ。そこで、「当たり前でしょ
う」というより、母に「そうだね、偶然にしょっぱいのであればよか
ったね」と言った「なるほどね」と受けてくれた。人も歳を重ねると
人生のキビに触れ、わかり合えてくるものだ。いつもその様に前向
きの姿勢でいるとウイットに富んだ会話が出来るのにね。
そんな事を言っている私の若い頃は、そんな融通を利くような玉じ
ゃなかったような気がする。私が人生の目的も見いだすこと出来な
く(今もそうだが)、つまらないねぇと思っていた時があった。だから
といって、グレれる(ふて腐れる意味で理解して)ことも出来ず。 よく
友人と話し合ったりしたが結論は出なかった。年長の友人は、「もう
一歩前に出て何かに夢中になっていく事が出来たら成功。それほど
でなくても、続けていれば誰かの役に立つはずだ。男子たるもの、
一度は人の上に立たなくては駄目だ。それは、どの仕事でも良いか
ら、その仕事の持ち場の長に、なれるかが問題だ」と言われたっけ。
その彼は、高校の先生をした言いだし、高校をでて5年なるのに無理
ではないのと当時は想ったが。彼は、通信教育を受けのちに東京で
スクーリングを2年送った。今は、私立高校で歴史と数学を教える教
師になって目的を掴んだ人物だ。話は逸れたが、それに対して私は、
人の上に立つという事は、即ち管理する側に立ち、自分の全行動を
見られているという立場にもなるわけで「まっぴらご免だね」と考え
ていた時だった。
今思えば人から言われたことや、忍耐力など爪の垢ほど実行してい
たら、今より能力が数段変わっていただろうに。この歳になって憶う
即ち、後悔というやつだ。
春風するめ