寄り道
 
  「家内の運転する車に乗ってB」
 
  懲りない私は、相も変わらず家内の運転する車に乗せて貰っ
 ている。想い出すな10月の始めの日曜日だったなぁ。買い物す
 るので出掛けた時だ、お店の駐車場に車を入れる時の事だ。車
 を止めるスペースが無く隣の駐車場に車を移動することになっ
 た。いったん駐車場出てからでないと隣の駐車場に行けないの
 で歩道を横切ることになる。一時停止して右から車が来ないか
 様子を見て次は当然、左に駐車場があるのだからハンドルを左
 に切るだろうと思っていた。その瞬間、家内は更に右にハンドル
 を切ったのだから、「駐車場は左だぞ」と言ってしまった。「何言
 ってんの、縁石があるのよ、この車、車高が低いからボディに傷
 がつくでしょ。私だってね、立派な運転免許証を国から頂いてい
 るのよ」と、二度とお目々にかかれないくらいの顔して怒鳴りだし
 た。黙って、怒りが収まるのを待っていて車から降りた。家内は、
 照れくさそうに「怒鳴ったものだから、声がチョットおかしくなっ
 た」と、咳払いして少し機嫌を直したようだ。近頃、短気になっ
 てしまったものだ。これは、私のせいかだろうか違うな、歳のせ
 いだろう。昔は、優しいかったのに、そのやさしさ今何処だ。
 
  その日の午後に、娘が帰って来たので石狩の方へ景色を見に
 行くことになった。また家内の車を使用する事になったが「今度は、
 私が運転で行く」と、言ったら素直に承諾した。娘がいると、こう
 も違うものか。目的の地に行く道筋の景色の変わった事、石狩の
 町を過ぎ聚富(しっぷ)に来たところアマチュアの無線の塔が林の
 ように乱立していた。目印になるドライブインが無くなっていて、別
 の所で昼飯を食べ帰ることになった。帰り道「ひまわり」が、畑一面
 に輝き咲いていると表現しても、違和感を感じないくらい真っ黄色
 の世界だ。娘が写真を撮ると言いだし、車を止め色んな角度で接写
 していた。そこの場所は、特色のない町で観光施設となど目新しい
 建物も無く、素通りの所で車を止めているものだから、不思議に思
 った他の車が、何台か私の車の後ろに止まりだした。そして車の中か
 ら畑の写真を撮っていく人もいた。人って誰かが違った事をしている
 と興味をひくらしい。今の人達は、個人情報問題など色んな規制が
 あるので、隣の人の事をあれこれと言えない状況になっている分、
 口出したり、または、干渉されたくないといった両極端の行動になっ
 てしまうのではないかと思う。それでも危険な事だと気づくと、口に
 出したり覗いしたくなるのが普通ではないだろうか。近頃の家内はブ
 レーキの踏み方が甘いので注意しようかと思うが躊躇(ためら)ってし
 まった。逆に私の運転の仕方を問われ、悲惨な結果が予想できるから
 だ。そんなことで悶々とした暗い感じになってしまった。
  あの「ひまわり」は畑に鋤き込まれるというのに輝きを放していよう
 に見えた。私も「ひまわり」のように、一瞬でも輝き溢れる人生を持て
 るだろうかと何故か考え込んでしまった。
                         春風するめ