寄り道
 
  「楽しみ方に...」
 
  先日、ある会合で趣味の話になった。瀬戸物から始まって
 陶器や陶磁器などの話になった。陶磁器なんぞは、隣国から
 人を連れて来て作らせた経緯の話を九州に旅行したときに聞
 いた事を想い出した。私も、少しは興味を惹く範疇だ。習い
 物をしていた時は「良い器とは、手に持って感触が良く、茶
 碗が薄くても、お湯を入れても熱くない物」即ち実用的でも
 あり、観賞にも適している。ここまで来ると財産の域だが、
 そのように教わった。一般的に、趣味で集めた物を持ってい
 ても、誰かに見て貰って、評価なり同調を得てたりしながら、
 持ってる故に優越感に浸る事が出来ると聞く、物によっては、
 裕福な人だったら家財の一部でしか見られなく、せっかくの
 自慢の品物が目立たなくなるといわれている。そうなると色
 んな諸条件のぞいて、見せて貰うのが一番得になり2倍の楽
 しみとなる方法のようだ。それも道理だが、どう判断したら
 良い物やら。
 
  同じ趣味でも、食べ物もある。私の場合は、「腹一杯になれ
 ば良し」としているので、家族やお仲間には評判が悪い。「何
 を食わしても、アッというまに食べてしまうので旨いんだか、
 どうか、わからないべ」と、いうことである。そんな私だっ
 て食感を楽しめる舌があるので、そんなお褒めの言葉はいらな
 いのに。その褒めた話でないが、7〜8年前の夏の時、家内が
 「弁当を買って食べてね」と、ボランティアに出掛けた時の話
 だ。昼頃になったので、弁当を買いに行くのは面倒なので、冷
 やご飯と、あり合わせの漬け物で食べた。それから1時間程過
 ぎた頃、お腹がギューッと痛みだした。おかずと、漬け物は、
 新しい物だし、心当たりは浮かばず。どうしたものかと思って
 いる時、家内が帰って来て「この釜にある捨てる米がないけど、
 もしかして食べた。腐った臭いしてたでしょう」と、私は「何
 で捨てて行かなかったのよ」と、トッサに言ったが、食べてし
 まった悲劇。この事に関しては講釈や勿論、後の話は出来ませ
 ん。
 
 そんな私には、食べ物の趣味があるなんて言えるでしょうか。
 そうなると、あと何の楽しみがあると考え込んでしまう。
 2〜3分の正座さえ足が攣(つ)る現在、これからの無趣味の
 人生が見え、それを待っているようだ。
 
                       春風するめ