寄り道
「本来、わたしは...」
この間、それとはなしに他人様の話しているの聞いてしまっ
た。内容は、やってはいけない事を指導していた。どのような
職業の人達なのか、話し言葉と服装では判断出来ないが、技術
系のようだ。「駄目だと言う事をやっから、この様な結果を招い
たのだからね」と言えば簡単に済むものを、「あなたが、このよ
うにやれば良い物を少し違った方法でやって、成績を上げる事ば
かり考えてるから、その為に私達が迷惑しているんだから...云々」
と、大筋この様な内容の話を捲し立ていた。私は思う、働く事は
大変なんだと。それにしても、上司の人が成績を云々言っていた
が、仕事ってそのようなものだろうと聞いていた。それにしても
回りくどい言い方していたな。気を使っているから、諄(くど)
い内容になったのだろうか、あまり気遣を使いすぎると言わなく
ても良い事迄、喋ってしまわないかと思ってしまった。それなら
どう防ぐのか、話す内容を少し考えある程度、筋道たてながら結
論へと進むということかな。私には、とても出来そうにない技だ
が。親切つもりで多く喋ると教養の無さを知られるそれなら、あ
まり喋らない方がいいに決まっている。あまりこちらの手の内を
明かしてしまうと収拾つかなくなる気がした。ただし語彙力(ご
いりょく)のある人には、関係ない話だけど。
そんな煩わしさを打ち消す為に、ゲームでもやって気を紛らわ
すか、数字を順番に並べるゲームをやっていたら、「事務所でゲー
ムやらないでください」と、いう奴がいた。なに!と思ったが、
道理が通っているから、グッとこらえ我慢、ガマンか。他の者に
も示しがつかないか。ここで、人間性豊かになる教訓は「注意し
されて許しが出来、その上で範を示すこと出来る」に掛かってい
るという事か。本来の私はなまくらだから、気を使う事事態が大
変だ。でも、これからの私を、見てくれ。「何をと」聞かれても
答えられないけど今より前進しているはずだ。
春風するめ