寄り道
「大勢で来たムクドリ」
リンゴが無くなりかけた木の枝に大勢のムクドリが、
来ていた。
そとは、雪が無くなっているが花が咲くには、時期が
早すぎるため、集中して来たのだろう。
そこへ、ひとまわり大きいヒヨドリが、2〜3羽飛んで
来た。
どうなるのかな、と心配して見ていたらムクドリの方は
何事も無かったようにリンゴをついばんでいて、仲間に迎
入れていた。
この光景を見て、人間よりお人好しかなと思ったが。
トリを見て使う言葉にも、「お人好し」や「大勢で来た」
などの単語をどう用いるか考えないで使っている。
言葉もそうだけど、忘れているもの無かったかなと思って
いると、今回の冬、家にネズミが来なかったことだ。
わたしもネズミには結構、力をいれた。
その内の一つとして、火に近づかない習慣を聞いて、線香
を時々つけていたから来ないのだと思っていた。
ところが雪が溶け、堆肥作りしていた所に、無数の小さな
トンネルや穴がたくさんあった。
ネズミの仕業だ、堆肥が、あったから家に来なかったのだ。
これも、表現するとしたら、何といったら良いのかと考え
込んでしまう。
最近、私は若い人と、話が少し合わない気がして来た。
どうしてなんだろうと、思い返してみる。
多分原因は、謙虚さが足りないんだろう。
つまり傲慢ということか。
傲慢の反対の意味に近い言葉は意識だと思いをめぐらし
てみた。
昔、曙(横綱)が、土俵に立つとき、いつも「俺は、強い
んだ」と自分に言い聞かせて土俵に立っていたと聞いた。
聞きようによって傲慢に思えるが、自分自身の意識を持ち
上げることであって、傲慢とは言わない。
傲慢というのは多分、意識しないで横柄な態度をする者を
云い、他人から「生意気な」と思われることの一つではない
か。
しかも、その傲慢さは、その人しか直せないと聞く。
そうなると、ヒヨドリに意地悪されていたムクドリ達が
黙って迎いれていた出来事と、話合わせる事の出来い私の場
合と、どう結びつけ評価しようか。
これが、問題だ。
春風するめ