寄り道
 
 
   「育てると飼う、どう違う..」
 
  人の子は、手伝いもするし物を持って来るけど動物は
 その様にいかないと、子供の時よく、母に聞かされた。
  この話、もう老人の世界に入りかける世代の私だが、
 理解出来ないでいる。
 
  その母は言う、自分のことを呼ばれても返事できない人を
 見かけるって、犬だって呼ばれりゃ、返事かわりの尾っぽ振
 って寄ってくるのに、教えなきゃねぇっと。
  社会では「呼ばれたれたら、返事する事は当然の事」と、
 決めつけてられている。
  挨拶と返事出来ないのは、学問あるかどうのではなく教養
 の問題で、職場から外される可能性は大きいかも知れない。
  少なくても好感は、もたれない。
 
  教養知識、躾が無くても出来るのは、本能の部分らしい。
  人も動物も幼少の頃に覚えた物は、一生忘れないと聞く、
 動物と違うのは、忘れるのは同じでも、これは大事、これは
 破棄(忘れても良い)など仕分けが出来るということのようだ。
  その点、動物は出来ないから全部、脳に溜め込む為に、
 限界がすぐ来てしまうらしい。
  その様な、思考のスタンスで、知人が動物の飼っている
 話を聞いた。
 
  子供さんは、大人になり社会人として独立して、ポカン
 と空洞が出来、座敷犬(チワワ)を飼ったそうだ。
  今では、共に住んでるという生活感である。
  人の話がわかって来て一緒に喜んだり、怒ったり、涙を流
 すんだって。
  人生の旨いも酸っぱいも分かっていらっしゃる重厚なMさ
 んが、真顔で話され、人と動物の性質へと話題になりそうだ
 った。
  「飼う」と「育てる」である。
 
  見くだし目線無くして動物を見る事出来れば、地球という
 星に、これからも一緒に住んでいけると、その様な確信をも
 ったが、結論までは、もう一歩何かが足りないでいる。
 
 
 
                       春風するめ