おしゃべり
「母より私がky...」
母のところへ、一日おきに介護のヘルパーさんが来る。
先日、「おかずを3食分を6皿に成るように作ってね」と、母はヘ
ルパーさんに頼んだようだ。
結果は同じおかずを6皿になっていた。
ヘルパーさんに伝えたかった内容が伝わらなかった分、同じ物を
食べることになったと、母はこぼしていた。。
この話を聞く度に、健常者が不自由者に奉仕するときの難しさを
垣間見た様な気がした。
昼間、一人で家に居るためか自分の殻にとじこもりかちになる、
それに少し耳が遠くなっている。
私も母から、呼ばれて返事をしていても聞こえないこともあるよ
うだ。
その私は、ダミ声のためか、母には私の声が聞こえない事もある
ようだ。
大きい声を出すとハァーハァーと息が切れるそうになる。
だからといって、大きい声を出すと誤解も生じることもある。
近頃の母は、KY(空気の読めない)の事が、多いのだ。
人の顔の変化を見ること感じる事が出来ない様だ。
時々、私も母と同じようにもんきり型で切り型で話すこともある。
母の性格の2分の1は、受け継いでいるから、仕方ないかと思って
しまう。
この間、家内に組合の会合に出掛けるのに送って貰おうと、時間を
打ち合わせていた。
ところが、家内に知らせていた予定の時間の30分前に会場に着か
なければならない事に気が付いた。
当然私は、家内に事情を説明し、「早く来るように頼んだ」。
待てど暮らせど、思った通りの時間に家内の車が来ないのである。
家内に携帯電話を掛けた、「運転中で、止まらないと電話に出られな
いでしょ、その分遅くなるんだよ」と、怒鳴られた。
のんびり屋の家内に、「早く来い」と、いう様な意味の言葉を使うも
のなら、余計遅くなってしまうので大変だ。
イライラしながら、なんとか会場に送り届けてもらった。
私は、送って貰ったことに感謝せずに、いつも思うのだ「もう、頼ま
ないってね」。
冷静になったとき、この出来事を通して、おもう。
母より俺の方が、kyかなって....。