ちょっと一休み
「一線を越えて思わぬ失敗した」
家の松の枝が大きく張っていて,隣に黒船ツツジが,松の枝に邪魔
しないように枝を伸ばしている。
私には,どれが幹で枝かわからないツツジだけど,全体として松の
枝に触れないように伸びている。
かわいそうなので,ツツジの根元をスコップで掘っていたら,うちの
ウコヤン(ニワトリの烏骨鶏(うこっけい)の事)どもが来て,作業の
邪魔をする。
そのうちの一羽が,掘っていた穴に落ちてはい上がれないでいた。
ちょうど,羽を広げられない幅の穴だ。
普通,動物って必ず,自分が逃げられるスペースを確保して行動す
ると思っていたから,何て真抜けたニワトリだと言ってやった。
しかし,人間に慣れすぎたのだ。
何でも慣れすぎると,とんでもない失敗なり事故が待っている。
昔、それに似たような事を思い出した。
いつの時代にも当てハメれる事だが,どんなに親しい人でも,そこ
の家庭には家庭なりの言葉があり、そこだけで使う独特の呼び名も
ある。
つい,親しすぎた為(ため)に,そこ話の中に入って嫌な顔をされた
ことがあった。
いずれにしても,人を相手に話をするときは,積極的は良いのだが,
「元気で出しゃばり」と思える行動よりは,抑え気味の方が理知的に
見えて、好感を与えるようだ。
そして、自分の発言を求めらた時、どう表現するか問題だ。
いっそうのこと、歌舞伎(かぶき)の一場面を思い出した。
白く長い髪を上半身で振り回しながら身体を起こして足を床にパン
パンと打つ「もんどりをうつ」シーンだ。
誰もが,ここ一番「待って,ましーた」という時に,きっちりと冷静に過
激でもよいから,腹が立ったときのように話する事ができなければ大
人じゃないか。
そう思ったが...。
生きるって,逃げ道の確保と自分を売り出すチャンスの出番を求めな
がら、危険のはざ間の一線にある身の上の生活をであると。
心していなければ,「人生の落とし穴に、はまってしまう」。
我が家のニワトリのように。