ちょっと一休み(2005年5月)
 
 「サルは一途で?えらいのか」
 私が20歳の頃の役割は、動物の後始末が主流だった。
 例えば犬が、鎖から離れると捕まえに行くのも、子供に
 噛みついたと苦情の対処も私の役割だった。
 当時の新聞広告に載っているサルを飼ってこいとなって、
 家に連れて来た「紋次郎」は、風邪薬と毛布を掛けてた。
 当時、「木枯らし紋次郎」というテレビ番組が放映され
 ていた頃だ。
 二日目に、元気になったが、学校から帰ると茶の間が荒れ
 放題、冷蔵庫のドアー開けっ放し、テレビの上で寝ていたの
 で、妹はヒデ(アイヌ犬)と一緒に自分の部屋にいた。
 
 その時から紋次郎を、外の小屋で飼うことになった。
 時々は家の中で、腰に鎖でつないで遊んだ。
 父が、紋次郎のところへくると、必ずするしぐさがあった。
 お尻を父に向け、父の毛繕いをする動作をよくやっていた。
 その理由は、あとでわかったことだが、この家で誰が一番
 偉いのか
 学習した結果、父だと言うことを決めたのだということだ。
 父がそばにいると、我々にも毛繕いをやってくれたし、さわ
 らしてもくれた。でも、お尻を父にするように向けてはくれ
 なかった、それどころか父の姿が一瞬でも見えなくなると、
 その時から、「キィー」と歯をむき出して襲いかかるのだ。
 そこで、いない父を「父さん、紋次郎がねー」と、いそうな
 方向にのぞき込むように呼ぶと、紋次郎も我々と同じ格好
 してのぞき込むのだ。
 父がいないと気づくと、また怒り出す。
 そんな紋次郎を見て、一途だよなァっと思った?
 その時サルは犬より番犬になるのではないか?その様に思った。
 そんなことを考えながら、ヒデ(アイヌ犬)をみたら、間抜けた
 顔をしているように見えて、おかしかった。
 今思う、サルのように足でも手のように使えることが出来る
 身体能力と、人間の赤ちゃんだって、身全体で息をしている。
 今になって思うことだが、サルと人間の赤ちゃんのように身体
 全身で動き続けれたなら、人生の勝ち組みになれたのは間違い
 なっかたろう。
 誰しも、大人になるにつれて迷いや悩みなどの誘惑があり、それ
 らに打ち勝つ結論を短時間に見つけ出せるか?によって人生の
 勝敗が決まってしまう。
 その点動物は本能が優先だから迷いが少ない、そうなると、
 サルは人間より優れているとういことになるか?
 わからないなァ...、話をまとめること出来ないまま
 それなら人間とサルの違いはどこだろうかと!考えたが。
 苦し紛れの答えは「毛が3本足りないのがサル」だと結論づけた。