ちょっと一休み(2005年2月)
 
 「誠意とは努力なんだろうか?」
 時々、大事な失敗も無く誠心誠意をつくしても伝わらない事が
 度々あるものだ。
 そのような時「なんで、そうなるんだ」っと叫びたくなる。
 それは、アピールが足りないそうだ。
 相手が悪いのではなく、自分に原因があるんだ。
 どだい、誠意を尽くしていることをわかってもらおうとした気持
 が醜いよ、そんなことを自分に言い聞かせた!。
 昔から言い伝えみたいなことがあったような気がした。
 誠意を行おうとするとき「人を観て法をとけ」とあるように、
 他人が見てわかる行動が必要なのだ。
 昔から頭の悪いおれは、人間を56年もやってきて、やっと気づい
 た。まったく進歩発展がないことを恥じる事無くやってきたよ。
 言葉の無い動物でさえ、学習し進歩するという。
 
 身近にある言葉を関連つけると、
 学習する頭脳的な行動と肉体的な能力がつくことを意味する。
 それは進化することだ。
 そこで、子供の頃聞いた象のはなしを思い出した。
 象の鼻は、はじめから長いのではないそうだ。
 ある時、木の下に実があって食べたらもの凄くおいしかった。
 上を見上げると背の高い木に実がなっていた。
 食べたい意識があっても手足が思ように動かず、口と鼻の先が
 有る程度動かして取れそうな所に実がある。
 実をとるための工夫する親の姿を子供が見ていた、更にその子も
 観た。
 何世代に渡って今の姿に進化したんだ、っと。
 そんなこと聞いた。
 
 壮大な物語だが
 私も頑張れる余地があるかも知れん?