ちょっと一休み(2004年10月)「逃げて、逃げて、逃げるやつ」
 
 自分が飼っている動物と接し、育てていると思いの中に...
 なにかしら教えられ?
 自分はどうなのか?と、問うことの主題の世界にようこそ!
 
 いつも、何かをしようとしている自分、嫌のことがあれば「どう
 しよう」っと、たじろいでしまう。
 動物は、どうするのだろう?
 また、嫌な仲間といなければならない時は、どうする?
 ワザトラシイ態度でおべっかいを平気で出来るのだ。
 我々だったらどうする、プライドのある人なら、とても出来ない。
 でも、よく考えると「プライドと恥ずかしい」は私の価値観。
 彼らの価値観、常識は別なんだということを話したとき、アメリ
 カの友人は「貴方は、英語話せなくとも国際人だよ」と言われた。
 
 毎年の春になるとニワトリの銀ちゃんと次郎ちゃんが、言葉は悪い
 が、メスの争奪戦が始まるんだ。
 両方とも白い羽(烏骨鶏)だが、頭から肩に掛けて薄赤色にな
 るまでデッドヒートを来り返す。
 覇者が決まっているはずなのに、毎年繰り返し行われる。
 勝者が決まると、夜小屋に入る時にも序列が出来てしまうのだ。
 それはオスだけではなく、黙って見ているとメスにもあるようだ。
 チャランポランのメスは最後に入る組みだ、そのメスが入って
 から弱いオスが最後に入る。これには、ビックリしたね。
 
 いやー、どこか似たような光景があるなぁーっと思った。
 いまの私に序列厳しい生活をすれと言われたら出来ないと断
 ってその場から去るだろう。
 たとえば、ウサギが鷲に狙われる問題に指しかかったとする、
 どの様な態度行動をするだろうか?
 ウサギなら、手向かうことことをせず、「逃げて、逃げて、逃げ
 て」安息の場所を探し出し、襲われる事の無いようにする。
 だからといって、鷲に仕返しをするでもなく、多くの仲間や
 子孫を増やして身の安全を導くと聞いた。
 勝利に対しても価値観が影響するのではないだろうか?
 
 動物の個体と全体の群れの生きざまに観ると、必ずしも問題に
 立ち向かうばかりが、良いとは限らないのではないか?
 このようにとらえると新たな発見が出来たような気がした。
 
 我が家に、8年目になるオスのかみつきウサギ「キーヤン」を観て
 ると答えは出ない。
 でも、これだけは言える、問題に取り組むもよし、ウサギのように
 逃げるもよしだと、ただ忘れちゃいけないことがある。
 そのことを意識しながら行動する自分に言うのさ「向かうも、
 逃げるも、はばかりながら知恵という力だと」